一応立ってる

のびのび〜〜〜




  いい顔してるでしょ

    ひと休み・・・

お昼寝中 静かにね

大好きな膝の上〜

物思いにふける?

この辺 汚れてるかにゃ〜
きれいにしなくっちゃ!!

特技は、おしりをストーブに
  向けて温まることだにゃん!

毛布と 擬 態 化 !?

台所の戸口に来て、戸を開けてもらうのを、
待っていました。
鳴けばいいのに、鳴きもせず、
ただじっと待っていました。

(05年 5月)

チビ 復活!!
 「戸 開かにゃいかにゃあ〜?」

ついていないストーブの前にいても
暖かくないって・・・

              
05.11月

パソコンのイスを占拠中 (05. 1月)

ケガ療養中・・・    (05年3月)

わずかな隙間から・・・(04.10月)

   

イタズラして、ごめんなさい。。。
                    (04.8月)

ごはん、まだかなぁ?
         (
04.7月)   

何故か 長靴が気持ちよかったらしい・・
              
(04.6月)

外に行きたいにゃ〜  
              (04.5月)

こんな格好で ごめんなさい〜
                (04.4月)
 

イスの下から こんにちは〜
              (04.3月)
隠れているつもり〜  (04.2月)

 開けてにゃ〜

でも誰もいないときは、
怒られないので
自分で開けちゃうけど・・・

散 歩 道

猫のチビ

朝からごきげん

(無断コピー、転載、転用禁止致します)
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ご飯を食べた後、お日様に干した3段重ねの毛布の上で
気持ち良さそうに寝てました。 

                            (06.04)

このHP開設当時から「猫のチビ」の写真を掲載してきましたが、
チビは平成18年(2006年)5月14日 未明
病気のため 10年の生涯を閉じました。

このページをご覧いただいた皆様には、心から感謝申し上げます。
チビも喜んでいることと思います。

どうもありがとうございました。

下の方に未公開だった写真なども掲載しましたので良かったら見てください。


                                           06.06.04 省美

これが最後の写真になってしまいました

平成8年 1996年 7月25日
その日のことは良く覚えている
夕方庭にいた私を、縁側から息子が呼んだ。
何?と思って息子を見ると、
何も言わずにその指は自分の足元を指していた。
目に入ったのは、小さな猫だった。
息子の足元にちょこんと座っていた。

とっさの出来事に
「どこから拾ってきたの?
 うちじゃ飼えないから、すぐ拾ってきた場所に
 捨てて来て!」

なんて冷たい私だろうか・・・

私は小学生の頃、姉が拾ってきた猫を「家では飼えない」
という理由で姉と一緒に捨てに行った経験がある。
自分が経験したことしか言えなかった。

でも息子は「友だちからもらったんだ」と言った。
もらったのなら捨てるわけにはいかない・・・
私は息子に自分で面倒を見るという約束をさせ、
猫のトイレとその砂を近くのホームセンターに買いに行かせた。


私はそれまで猫に携わったことはなかったけど、息子達の手前抱いてみた。
ふわふわで、やわらかかった。
掌にお腹を乗せると、掌から頭と足がはみ出るくらいの大きさだった。
これが子猫かぁ・・・なんて思ったけど、
正直なところ、どうやって猫と接したら良いのか解らなかった。


「トイレの場所どうやって教えるの?」と聞いてきた息子に、
買ってきたトイレの砂の説明を読んで
「臭いを嗅ぎまわったら、トイレに連れてけって書いてあるよ」と言うと、
「え〜〜嗅ぎまわってる」と言ってすぐにトイレに連れて行くとその場で用を足した。
「ふ〜〜ん。利口だね」と私。

夕飯の用意をしていると、私の足元で「にゃぁにゃぁ」と鳴いていた。
何?と思って猫を見ると、一心に私の目を見て鳴いている。
それは「ごはんちょうだい」と言っているように見えたし、そう聴こえた。
えっ!? 私、猫とさっき会ったばかりなのに、猫の言葉が解る・・・??
え〜〜!! うそ〜〜!! でも確かに何かを欲しがってる・・・
とりあえず牛乳をやったら喜んで舐めていた。
その姿はとてもかわいかった。

そうしているうちに、ダンナが帰って来た。
人の気配を感じたのか猫は、玄関に行ったので私もそっとついて行ってみた。
ダンナは猫をみると「なんだ!?どうしたんだ?」と抱き上げたけど、
まさか家で飼うなんて思ってもみなかったはず。
でもダンナは独身の頃猫を飼っていたので、猫の扱いには慣れていた。

茶の間での夕食時にその猫は自分ももらえると思ったらしく、ダンナの隣に座っていた。
が、台の上のものを取ろうとして手を出したその瞬間に、ダンナに頭を叩かれた。
私は、えっ!!?と思ってると、猫はあわてて廊下を通って隣の部屋に飛び込んだ。
見に行くと、息子達が使った子供用のイスの下で小さくなっていた。
更にそのままそっと見ていると、ゆっくりとその場から動き出し、また茶の間の方に戻ろうとしていた。
夏だったので、茶の間のふすまははずしてある。廊下を通るとその姿はダンナからも丸見えだ。
廊下をゆっくりゆっくり進んでいたかと思ったら、丸見えの茶の間の部分だけは、
早足でサッと通り過ぎて、奥の部屋の方に行った。
ダンナに姿を見つけられないように、そうしたのだろうけど、
私にはその姿はとても衝撃的なものだった。

猫にも心がある。こんな小さくてもちゃんと意志を持って生きている。
それは当たり前のことだと思うけど、それまで猫に関わらなかった私には新鮮は驚きだった。
そして私はその猫が大好きになった。

その日の夜は息子の部屋の隅で寝ていたけれど、次の日は、連れて行ったわけでもないのに、
勝手に私の布団の上で寝ていた。
何これ?どうなってるの?何で私の布団に???
私には謎だらけだったけど、とにかく猫と寝ることにした。

これが私とチビとの出会いだった。
やはり息子は面倒はあまり見ず、エサくれやトイレの始末は、私の役目になった。

最初の頃は元いた家が恋しかったのか、玄関の隙間から外に出てしまい、
木の上に登って降りられなくなってしまったり、物置の屋根にいて動こうともしなかった。
削りぶしでおびき寄せようとしたら、手まで噛まれてしまったこともあった。

名前も色々と考えたけど、小さかったので「チビ」に決まった。
1年ほどはおとなしく家の中で生活していたので、そのまま家猫になるのかなって思ったけど、
茶トラは気性が荒いとか・・・
翌年の春には、すごい声で鳴き出した。
それは「外に出して」と言う鳴き声で、そのまま出さないでいると、
「にゃぁぎゃおぉ〜〜!!」という鳴き声に変わって、
日本語に訳すと「出せと言ってるのが解らないのか〜〜!!!」という状態になった。

色々な場所にマーキングもされて、後始末が大変だった。
去勢手術をすればおとなしくなると言われて、その手術もした。
それでもケンカを挑み、何度もケガをして病院に行った。
その時の病院の先生には、
「家の中を縄張りにして、外に出さないでおけばいいじゃないですか」って言われたけど、
外に行きたがるとどうしても出してあげてしまってた。

人みしりしない人懐っこい猫だった。
息子の担任の先生が家庭訪問に来た時、初対面なのに先生の横にちゃんと座っていて、
先生がビックリしていた。
私の友達が来た時は、座っていた友だちの膝の上を駆け抜けて行った。
近所の人たちにもかわいがってもらっていた。

キャットフードや削りぶしご飯を食べても、必ず私達の食卓にやって来て、私たちが食べている物を、
一口、二口貰わないと、その場から離れなかった。
自分を人間だと思っていたらしい。

朝はチビの方が早いと私を起こしてくれた。
夜は私と寝る時が多くて、冬はいつも腕枕で寝ていた。
夏は足元の方のかけ布団の上で寝ていた。これがまた重かったりもしたけど。
外で庭仕事をしていると、必ず傍でコロゴロしていたし、
ご飯の用意をしていると、私が動こうとすると、こっちが転びそうになるくらい足元近くにいて、
「チビ〜もう少し離れて座ってなさい」って何度も言った。
そうしてスネるとお尻を向けていた。
出かける時は玄関まで見送りしてくれて、帰ってくれば必ずといっていいほど出向かえてくれた。
遅くまでPCに向かっている私の傍で、いつも終わるまで待っててくれた。

寂しがり屋のせいか、私の後を追ったりするので、いつもじゃなかったけど、
家の中でもチビから離れる時は「チビ待っててね」と言うと、ちゃんと待っててくれた。
トイレまで付いて来ることもあったし、
こっちこっちと前足で私の足を自分の餌場の方に促すこともあった。

私にも情緒不安定な時期があっって、そんな時、どれほどチビに助けられたことか・・・。
チビが傍にいてくれるだけで、とても気持ちが落ち着いた。

人間の言葉も喋った。というのは思い込みだけど・・・
「牛乳」を「にゃうにゃう」
「ごはん」を「ごにゃん」
「違う」を「にゃ〜ぅ」

そうして、チビがいて当たり前の生活になって行った。

思い出せばキリがない・・・

そう・・・土曜日に面会に行った時、頭や喉をなでてやったら、とっても気持ち良さそうだった。
治るって思ってたから、いつまでもいてもキリがないからって、早めに帰って来てしまった。
もっといてあげれば良かった・・・
夕方も行ってあげればよかった・・・


病院では、どういう対応を取っているのか解らないけど、
日曜日の朝9時半頃、面会に行ったら、
先生の助手に、
「それがね〜今朝方死んじゃってね〜」と言われた。
えっ!!? 死んだって・・・ どういうこと?
昨日はあんなに元気だったのに・・・
「様態が急変したみたい。朝来て見たらもう死んでたの」

普通亡くなったら亡くなったで、電話連絡ぐらいするんじゃないのかな・・・
人間はそうだけど、動物だからそんなことはしなくてもいいの?
会えると思って、来てるのに、突然「死んだ」なんて言われても納得出来なかった。
それにその言い方って、病院の言い方なのかな??
「大変残念でしたが」とか「申し訳なかったですが」とか
嘘でもひとこと聞きたかった。

そして突然、ダンボール箱に入れられて、
目と口の部分を包帯で巻かれた動かないチビを見せられた。

チビ!!・・・
涙が零れ落ちた。
箱から出して抱きしめて、チビに謝っていた私。
「治してあげられなくてごめんね・・・」

先生は姿を見せず、その助手の人が電話をかけて説明を求めていた。
一緒に行った息子が電話に出てくれたけど、
息子も私もそんなことで納得出来るわけがなかった。

更に助手の人は、チビを前に泣いている私たちに、
「ここにいる猫はみんな捨て猫だったの。よかったら・・・」という意味のことを言った。
そこには、ゲージに入った猫が6匹ぐらいいた。
こんなに悲しんでいるのに、新しい猫をもらえって?
たった今死んだって聞かされて、
はいそうですか、じゃあ違う猫を・・・なんて思えるはずがなかった。
中にはそういう人もいるかもしれない・・・
でも私にはとても無理。
病院だって接客には変わりない。色んな人が来るだろう。
その人がどういう人なのか、見極めることも出来ないのかと思った。

その上「かわいがっていたから尚更(悲しい)ね」とも・・・
ペットだもの、かわいがるのが当たり前だと思うけど・・・
最後に「ごめんね〜」と言われたけれど、顔を向ける気にもならなかった。
世間話しをしているわけじゃないんだから、ちゃんと病院としての対応をしてほしかった。

先日、請求書が送られて来た。
金額と振込先が書かれた紙と内訳明細の紙・・・
お悔やみの言葉の一言ぐらいあっても良さそうなものに・・・
そう思っても、間違いじゃないだろう。
一体何だったんだろう?あの病院は・・・
そんな思いが頭から離れなかった。

予防注射をしなかった私がいけないのを棚にあげるつもりはないけど、
私の望み過ぎ・・と言われれば、それも仕方ないけど、
こんなことが普通であって欲しくないと思った。

評判がいいらしいその病院に行ったのに、先生は無愛想な人だった。
病院はビジネス・・・?
とても動物が好きでやっているって感じには取れなかったけど・・・
「ちょっと抑えて」という言い方からして、
“診てやっている”という態度に思えた。
私には何でそこの評判がいいのか解らない。
きっと助けてもらった人もたくさんいるのだろうけど・・・

先生にしたら、点滴や注射を何本もやったし、
予防注射してないから感染したのはそちらの責任なのに、
それをとがめることなく手厚く治療してあげてるんだから、
何が不満か?という感じだろう・・・

そんなことなら前に行っていた病院の方がまだ良かったかもしれない・・・
息子には「割り切るしかないよ」って言われたけど、
そんな世の中なのかな・・・


後で聞いた話だけど、
そこの病院は血統書付きの動物だと、良くしてくれるらしい・・・

もっと早く知っていれば・・・
そう思っても、もう遅い・・・
いくら動物だからって、そんな差別があっていいのか・・・
怒る気持ちにもならない・・・




チビ、いつも傍にいてくれて、ありがとうね。
どれほど心強かったか解らないよ。
これからも私たちを見守っていてね。

チビのことはずっとずっと忘れない。
世界でただ一匹だけの素晴らしい猫だったよ。

包帯を取ってあげた時の顔は、安らかだったね。
まだまだたくさんの時間を一緒に過ごせるはずだったのに、
治してあげられなくて、本当にごめんね。

天国では思いっきり駆け回ってね。 
生まれ変わったらまた出会えるといいね。

腕枕で寝るチビ

チビに感謝の想いをこめて

入りたいのに 開かにゃいな〜

誰か いにゃいのぉ〜? 

柱での爪とぎ・・・
何度注意してもやめてくれなくて、
怒るとサッと素早く逃げ出していました。

茶の間の雪見障子を降ろしてしまうと、この場所にいながら
廊下のカーテン越しの外がみれないためか、
この部分は張り替えても張り替えても破かれてしまうので、
ここだけ切り取って窓を作ってあげました。

「いわさきちひろ展」が地元であった時、見つけた絵です。(絵は一部分の表示です)
絵の猫とチビがダブってとっても気に入りました。
でも1枚での販売はなくて、この絵が欲しいために1冊の本を買いました。
あれはいつだったのかなあ?って本を見たら、
展示会は1996年 9月〜10月とのことでした。
チビが家に来てまだ3ヶ月にもならい頃、
すでにチビは大きな存在になっていたんだなって、改めて思いました。
チビを想った時、
省吾さんのこの曲が自然に浮かんできました。
歌詞を読むと気持ちが重なります。

チビとの出会いは、
私の人生を変えたといってもいいかもしれません。
自分の人生に多大な影響を与えてくれた出会いは、
人間も動物も同じだと思います。

私がそんな想いでいる中、
小学生が犠牲になる事件が相次ぎ、
ご家族の心情を思うと心が痛みます。

誰もが、どんな時も優しい心で接することの出来る、
そんな社会になってほしいです。



                        06.06.04. 省美






   我が心のマリア (英訳文)

                      作詞・作曲 浜田省吾


マリア まばたきするたび 君の名を呼ぶ
どれほど 僕がこがれているか 君は知らない
どれほど ふれてほしかったかを

マリア 君は何故?と訊く だけど理由などない
どうして君を愛しているのかなんて わからない
ただ君の心の中にある何かが 僕の孤独を呼んだ

君がいなければ 生きていけない
でも君は行く 行ってしまう
マリア 君の名を呼ぶ マリア

わかってる 何をしたって もう二度と会えないことを

マリア まばたきするたび 君の名を呼ぶ
どれほど 僕がこがれているか 君は知らない
どれほど ふれてほしかったかを

マリア・・・