〜 湯の里 信州高山温泉郷 〜

信州高山村 井山 浄教 

 

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〜 浄教寺の歴史 〜


 井山水澤院浄教寺の開祖は、鎌倉時代初期の文治年間(1185年〜90年)に浄安和尚によるものと伝えられる。もともと高井野水澤原の不動堂の近くにあったが、寛永年間(1789年〜1801年)に山津波で流失した。

 寛文四年(1664年)、あるいは九年に、小河原村大乗寺(浄土宗)の弟子であった伝誉和尚が、月生城の一隅水沢(水中)の現在地へ移転した。このため伝誉和尚を中興の祖としている。浄土宗知恩院の末寺で、本尊は阿弥陀如来像。寛文十二年四月九日の銘があるので、水澤原から水澤へ移転して本堂を建てた頃のものであることがわかる。

 その後、寛政八年(1796年)、高山村出身の有名な建築彫刻家亀原和太四郎一門の手によって、本堂・鐘楼門などが再建された。惜しくも昭和三十四年(1959年)の台風で、鐘楼門を残してすべて倒壊してしまう。

 昭和五十三年、再建された新本堂の内部には、旧本堂にあった十六羅漢のみごとな欄間彫刻がすべて残されている。これは初代和太四郎の作と推定され、村の文化財に指定されている。

 また、裏手1qほど東には、通称「謙信道」が通っている。水中地積から灰野峠を越えて須坂市南部に出て、若穂を通って松代へと通じる道である。川中島の合戦で乱戦となり、越後へ落ち延びる時に謙信も使用したと伝えられ、江戸時代には盛んに利用された


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上高井郡高山村大字高井1092

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