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高山村の文化財

 高山村には現在(平成15年)1件の県指定・15の村指定文化財があります。
 指定順序にご紹介いたします。
 文化財への想いはその地域への愛と誇りと後世への、
 伝達意識が計られる物差しではないでしょうか。
 村には指定以外にも、他に誇れる伝統行事・建造物が沢山あります。
 文明が発達して、新しいものへの好奇心ばかりが先行するこんにち、
 地域間の特色が無くなっていってしまうような気がします。
 地域の文化というものを、もう一度見直しませんか、
 便利な文明は取り入れ、掛け替えの無い文化はより大切にしたいと思います。


福島正則屋敷跡
村指定・史跡
 高山村大字他界196(高井寺内)
 福島正則・戦国時代秀吉子飼いの武士、1600年関が原の戦いで東軍につき
 徳川幕府の外様大名で、広島約50万石の城主となる。
 無断で城を修復したとのとがめで格下げされて高井野の館に配流される。
 高井・山田・小布施などに2万石、越後魚沼郡に2万5千石、合計4万5千石に
 縮小される。正則は1642年(寛永元)7月13日高井野の館で没した。
 この地で過ごしたのはわずか5年足らずである。
 正則の没後、幕府の検死役人が到着する前に火葬した科で
 2万石
没収された

 左の図面は110年前の福島正則屋敷跡図である
浄教寺十六羅漢の欄間村指定・有形文化財
 高山村大字高井字水澤原(浄教寺内)
 初代亀原和太四郎の作品。
 16人の羅漢が仏蛇に仏法を伝えられる場面を絵画的手法を用いて
 彫刻したものである。
 三場面に分け、それぞれ異なった大樹をその情景に中心にすえ、
 表情豊かな羅漢像を刻み出している。やや粗く、細部の刻みを省略するなど
 実写性に欠けるが、遠望した場合、その情景場面真迫性が現れる。
 細部の彫刻を極力抑えた欄間彫刻は、その構築性の中に、
 初代亀原和太四郎の技量の非凡さをうかがうことができる。
村指定・有形文化財山田大杉神社・社殿
 高山村大字中山字寺宮
 大杉神社本殿は三百数十年前に建てられたものです。
 鉄板ぶきの覆い屋の内にある小さな一間社流れ造りで、
 カエルマタ・木鼻などから。江戸時代前期の作と鑑定されました。
 羽目板に唐獅子・雲竜、脇障子に隋神の絵が描かれていてみごとな絵です。
 1842年(文政七)京都の吉田家から山田大杉神社の社号を認可されました。


一茶ゆかりの里離れ家村指定・有形文化財
 高山村大字高井5161−1
 一茶が140日間逗留した約220年前のものを現地から(約500メートル南から)
 解体移築した。
 現在は句会・茶会などに利用されている。

高杜神社本殿及び本社村指定・有形文化財
 高山村大字高井2040
 ←7年に1度の信州高山村高杜神社の御柱祭
 高杜神社は歴史の古い式内社で、祭神は建御名方命と高毛利神です。
 国の神社合併政策に従って、1910年(明治43)ごろまでに、村内の多くの神々が
 ここに合祠されました。現在は11部落およそ千戸の氏子をもつ由緒あるお宮です。
 本社は1783年(天明3)、赤和出身の宮大工、初代亀原和太四郎嘉重の作で、
 これも、村の大事な文化財です。

子安神社本殿及び本社
村指定・有形文化財
 高山村大字牧1115
 子安神社の祭神は木花開耶姫(きのはなさくやひめ)である
 特に安産の神として知られている
 神社の例大祭は
  5月14日・祈年祭(春祭)
  9月24日・例大祭(秋際)
 11月29日・新嘗際(新穀感謝祭)

駒場の郷蔵
村指定・有形文化財
 高山村大字中山425−4
 郷蔵は江戸時代のもので、農民が納めた年貢米を一時保管したり、
 飢饉に備えて穀物の貯蔵所として村々に建てられた倉庫です
 この蔵は安政年代に再建されたものと伝えられ、現在村内に残る
 唯一の郷蔵であります


諏訪神社(春宮)本殿
・村指定・有形文化財
 高山村大字奥山田661−3
 諏訪神社春宮の本殿は、文政12年大工棟梁越後国三島郡小木村の
 安達重蔵政方によるもので、当時の標準的な様式で作られているが
 桁に垂木尻を見せておりこの点に越後系の流儀が伺える。
 木製の亀腹状の土台を用いている点が特徴である。

諏訪神社(秋宮)本殿及び本社村指定・有形文化財
 高山村大字奥山田1357
 
諏訪神社秋宮の本殿は、絵様などに胡粉、緑青、弁柄などの色彩が残っている。
 向拝の木鼻は象葉なであるが、江戸後期のような定型化に至る以前の
 独創的な形のものである。
 本社は、本殿の上屋が切妻、拝殿に相当する部分が入母屋、
 妻入りの形をとるこの撞木造りの建物

 
棟札は確認できないが、安政元年亀原和太四郎嘉博の作とみてよいと思われる。
山田温泉の薬師堂村指定・有形文化財
 高山村大字奥山田3623−2
 薬師堂は、間口15尺(4.5メートル)奥行き15尺規模の建物で
 奥に仏壇を3尺(90センチ)張り出しています。
 軒は2間(3.6メートル)で扇垂木とし、
 彫刻は紅梁上に龍、紅染の絵模様に波、亀、手鋏に菊の籠彫とするなど
 技巧的な彫刻を多く付けています。
 この建物は、文政11年(1828)大工棟梁 清水与作保(上身水内郡小島村)の
 手によるもで、清水氏も多くの寺神社建築を手がけるなど、
 当地の亀原氏と同時代に活躍した
彫工です。
 内部には結界が設けられていますが、5月と10月に祭りの際には、
 結界を外して内部が一体の空間となります。
山田温泉の薬師堂村指定・有形文化財
 
薬師堂は、文政11年の上棟で間口15尺奥行き15尺の建物。
 奥に仏壇を3尺
張り出している。
 形式的には方三間堂のように作られた入母屋造り、
 銅板葺の建物で正面に一間の向拝を付けている。軒は二間で扇垂木とする。
 彫刻は向拝の木鼻が振向きの唐獅子、紅梁上に龍、紅梁の絵様に
 波、亀、手挟みに菊の籠彫りとする。
 また、隅柱の木鼻は、松、鶴の籠彫りとするなど技巧的な彫刻を多くつけている。
 内部には結界が設けられているが、5月7〜8日、10月7〜8日のお祭りには際には
 結界をはずして、内部が一体の空間となる。
湯蔵洞窟遺跡村指定・有形文化財
 高山村大字牧字湯沢滝沢番外
 昭和46年から14回の発掘調査が行われ、出土遺物には縄文草創期から
 近現代に至るまで数多くの良好な資料が続出している。
 (土器・石器・石製品・獣骨・骨製品・貝類・貝製品・木実など)
 中でも推定7,000年前の埋没人口骨がほぼ完全な姿で発掘されるなど
 全国的に関心を集めた洞窟である。
 出土遺物の質・量ともに先人の歴史を学ぶ上で特筆すべき洞窟といえる。
水中のしだれ桜村指定・史跡
 高山村水中鹿島神社内境内
 
 水中の山すそにあり、幹周約4メートル、樹高約22メートル
  樹冠径約12メートル、樹齢約250年を越えている

   神殿に
    糸さくら 隠れ平屋の 神に咲く
                    −蒼風
黒部のエドヒガン桜・天然記念物
 高山村黒部十二宮跡地
 
 黒部の集落の南に位置し、少し高台にあり下から上ってくると
  突然姿を表しその雄大さに圧倒される
  シーズンには多くの観光客が訪れる
  樹周約7メートル、樹高約13メートル、樹冠径約15メートル
坪井のしだれ桜天然記念物
 高山村三郷毛利家墓地
 三郷区の坪井地籍墓地にあり、しだれ桜では樹齢・太さともに村内第一の
 古木であり巨木である。
 墓碑の歴史から推定すると樹齢は400年以上と思われる。
 中山地区は付近にしだれ桜の巨木が何本か見られる。
 坪井のしだれ桜は村内の老樹でも特筆すべき大樹である。
一茶句碑石造
 高山村大字奥山田3592−1 
 この句碑は大正10年建立で一茶の句碑では全国で約300余基あるうちの
 7番目に古いもので大変貴重なものです。
 表句の後に笠山謙書とあります。笠山は地元の俳句の宗匠であった
 藤沢省三の俳号です。
 源清流や松尾芭蕉の句碑も同じ大正10年に近隣に建立されています


   今年米 親といふ越 おがみ家り
一茶句碑石造
 高山村大字奥山田1648−1
 明治27年建立というのは、一茶の句碑としては全国で屋久300余基ある内の
 4番目に古いもので大変貴重なものです。
 丸山可秋編「一茶一代全集」で「山田温泉」と言う前書きがつけられています。
 湯本庄左衛門は俳号を乳山といい地元の俳人です。
 この句碑はもともと荻久保の谷川橋から東へ10メートルの道端にあったのを
 昭和30年12月現在地に移したものです。
 なおこの句には、類句があり、
 「西原文虎宛書簡」には
     梅が香や湯の香や外に三ヶの月
 「七番日記」には

    梅が香よ湯の香よ外に三ケの月

   梅が香よ 湯の香よさては 三日の月