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電子書籍版第1巻販売開始! 連載歴史小説
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*改行の位置がずれて表示された場合は、 No.40
(きんしゅうのらくよう)
ああっ!! 紅葉の両目が玉のように見開かれた。 熊武は既に白竜にまたがり、逃走を開始しようと、手綱を引いていた。 「伊賀瀬!逃すな!!」 お万の怒声に、伊賀瀬は紅葉を放すと、すばやく懐から短剣を抜き取り、逃げ 去る白竜の後ろ足に投げつけた。 一瞬である。白竜がズドンという音とともに倒れた。放り出された熊武は、自分の 足で逃げようと駆け出した。伊賀瀬はすかさず駒にまたがり、追いかけていく。 一方、伊賀瀬の手を離れた紅葉は、我が身を省(かえり)みず、そのまま燃え盛 る炎に中に突進していた。 瞬間、熊武に気を取られていたお万だが、炎に向かって走る紅葉に気づくと、慌 てて追いかけ、腰帯をつかみ、力任せに引き戻した。 「やめんかい!死ぬぞ!!」 「かまわぬ!お万、はなせ!!」 「紅葉!!」 お万は紅葉の頬(ほお)を殴(なぐ)った。紅葉の身体は後方にふっとんで転がっ た。 紅葉は叩(たた)かれた頬を押さえることもせず、お万を睨(にら)みつけた。 「ばかもの!!経若は私の子じゃ!!」 その視線は、何度となく修羅場(しゅらば)をくぐりぬけてきたお万でさえ、見たこ とのない鋭(するど)さを宿(やど)していた。お万さえ威圧(いあつ)される怒気が隠 されていた――。 再び、紅葉は炎に向かって走り出した。 「やめろ!!」 お万は、紅葉の両脇(りょうわき)を腕で抱えた。もう、紅葉とて動けない。 「かか上!あついよ!あついよ……!」 煙の中で、経若丸が叫んでいた。 「経若!つねわか!!」 瞬転――、 「鬼武、頼む」 お万は唖然と立ち尽くす鬼武を呼ぶと、紅葉を押え込んでいるよう命令した。 「お万さま……」と、引き渡された紅葉を抱え込んで、鬼武が言った。 「わしが行く……」 お万は崩(くず)れ落ちようとする堂の、紅蓮(ぐれん)の炎を睨(にら)んでいた。 「ま、まさか……」 お万は微笑んだ――。 お万は自分の心が不思議だった。いままで紅葉を利用して、京に君臨すること ばかり考えていたものが、いま、その子を救おうと、命を捨てる決心ができたの だ。考えられないことだった。紅葉の子に対する振る舞いが、紅葉の子を助けよう とする視線が、あるいはお万の心を変えたのかもしれない。 彼女の瞳が、今生(こんじょう)の別れを紅葉に伝えた。それは、紅葉の瞳と同じ 色をしていた。 「万どの……。いけませぬ!」 「さらば、紅葉よ……」 お万は紅蓮の炎めざして駆け出した――。 紅葉も鬼武も目を閉じた。 …………、 と――、 それより一瞬はやく、ようやく今ここに到着した釈長明が、息を切らせて駆け込 み、お万の前に立ちはだかった。 「こりゃまた、たいへんな事になっとるの……」 長明はまるでひと事のように呟くと、お万より早く、そのまま炎の中に飛び込む と、燃え盛る堂の壁をよじ登り、一気に屋根の上におどり出た。 驚いたのはお万である。自分が、まるで清水の舞台から飛び降りる気持ちで、 やっといま、覚悟ができたというのに、長明ときたら、まるで椀(わん)の水を飲み 干(ほ)すように、いともたやすく炎の中に飛び込んでしまったのだ。 「ちょ、長明……!」 「お万、何をぼおっとしておる!経若丸を受け取れ!」 長明は、縄を解いた経若丸を、お万に向かって放り投げた。 慌てたお万は、空から落ちる経若丸を、しっかと腕に受け止めた。 「かか上!」 経若丸は、お万の手を放れて、泣きじゃくりながら紅葉に抱き着くと、 「経若……」 紅葉は我が子を縛(しば)り付けるように抱きしめた。 「長明!何をしておる!早くおりてこい!!」 お万の叫び声に、全員の視線が、屋根の上で真っ赤に燃える長明の姿に向けら れた。 その時、長明は何を思ったか、いきなり大声をあげて笑い出した。 「おお……。わかったぞ、わかった!法華経の意味が解ったぞ!!」 「そんなことより、はよ、おりろ!!」 紅蓮の炎の中、長明はもろ手を広げた。身につけた服は燃え上がり、炎の髪の 毛は、長明の姿を地獄絵(じごくえ)に引き込んでいるように見えた。 「皆の衆、よく聞け。たった今、この釈長明、法華経の意味を説いたぞ!」 それは、長明、法華修行を始めて二十五年目にして開いた悟(さと)りだった。 「生命(いのち)じゃ、生命!釈迦(しゃか)はこの生命というものを教えたかったの じゃ!」 燃える長明の表情は、歓喜(かんき)に満ち満ちていた。 「生も生命(せいめい)、死も生命。因果の理法も、これ皆生命じゃ。そして生命は 繰り返される。生死、生死――と永遠じゃ。しかし、この生死生死は一瞬一瞬の中 にもある。生死とはすなわち“妙法”――」 長明はせき込んだ。もはや、気力だけで叫んでいた。 「すなわち“妙法蓮華経”じゃ!!仏とは、お主らの生命の中にある!!」 堂を支える四本の柱が、火炎の怪物に食い尽くされて、堂は轟音(ごうおん)とと もに崩れ落ちた。それと一緒に、長明の身体も炎の中に落ちていく――。 「長明どの!!」 紅葉が叫んだ。 炎の中から声がした。 「お万!!」 「何じゃあ?」 「紅葉を頼んじゃぞ……」 「長明……!」 「わしは幸せじゃ……」 長明の声は、やがて、木のはじける音や、火の燃え上がる音や、炭の砕ける音 によってかきけされていった。 紅葉とお万、経若丸と鬼武、全員呆然と、めらめら揺れる堂の炎の中に、壮絶な 死をとげた釈長明の最期を見届けた。 「長明おじちゃん……」 経若丸がぼろぼろ泣き出し、紅葉はやり場のない悲しみに、その身体を強く抱き しめた。 やがて、伊賀瀬に捕らえられた熊武が、ガクガク震えながら、お万の前に突き出 された。 熊武は顔を蒼白にし、怯えと恐怖に言葉もない。 お万は目を細めると、その腹部を力任せに蹴飛ばした。 熊武の口から血が吹き出す。 それと同時に、お万の頬に、一筋の光が流れ落ちた。それは、人間としてこぼ す、生まれて初めての涙であった。 火の吹いた堂の残骸(ざんがい)は、周囲の雪を赤く染めながら、いつまでも燃 え尽きなかった……。
※ 書き上がり次第、随時更新いたします。次回をお楽しみに。
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