|
|
電子書籍版第1巻販売開始! 作者紹介
|
|
『錦秋の落陽』執筆のいきさつ
私が“鬼女紅葉”なる伝説に出会ったのは、高校生の時だった。 当時、私の隣の席にいたT君は、鬼無里村の出身で、よく気があい、十五、六年 たった今でも交流を続けている。お互い結婚し、子どももでき、家族ぐるみで付き合 っている。 彼がはじめて鬼女紅葉の話をしてくれたとき、私は妙な興味を覚えた。そのとき、 いつかこの物語を何らかの形で表現するだろうという、直感のようなものがあった のだ。もっとも当時は伝説という枠から離れたものではなく、彼の話を忠実に受け 入れただけだが。 あるとき、何の拍子か、鬼女紅葉の話題が出て、私が、 「そんな話は聞いたことがない」 と言うと、彼は、 「こんな有名な話を、なぜ知らないのか」 といったような不思議そうな顔をして、やがて、私以外の友人も知らないことを知 ると、なぜ自分だけが知っているのだろうと、面妖な表情に変わったのを覚えてい る。 鬼無里村には、紅葉伝説に合わせて、西京、東京など京の地名が残っており、 春日神社や賀茂神社まであるという。小学生の時からその話を聞かされ、浦島太 郎や桃太郎などの昔話と同等の物語として村に存在しているらしい。もっとも彼自 身、物語の全てを覚えていたわけではなく、私が深くつっこむと、 「よく知らない」 と答えるだけだった。
高校を卒業して、私は福島県のH氏と出会った。彼は、私が紅葉伝説を書こうと 思った直接的な原因ではないが、そのきっかけをもたらした。 H氏とは、ある会社の研修生として、同室で一年間共に生活した、いわゆる同じ 釜の飯を食った仲である。彼ともいまだに交流がある。秋になれば、決まって“みし らず柿”という会津名産の生柿が送られてくる。私の方も、決まって長野の“りんご” を送る。そんなつきあいをかれこれ十数年繰り返している。 私が二十三、四の時、彼の住む会津に遊びに行った。実は毎年のように行って いたのだ。 盤台山や猪苗代湖、野口英世記念館に鶴賀城、白虎隊ゆかりの地と喜多方ラー メンはもちろん、五色池や裏磐梯等、少しマイナーなところまで、会津方面では行っ ていないところはないくらいだ。 その中で、彼いわく、 「湖に沈んだ村がある」 と言う。 私もそういった話は嫌いじゃないから、さっそく案内してもらった。 車でどこをどう行ったのか、その湖が猪苗代湖なのかそうでないのか、今となって はほとんど忘れてしまったが、その場所が山道の中にあり、湖の水面にひょっこり 顔を出す不気味な鳥居のある光景だけは、今もはっきりと覚えている。 車は山道の脇に停車し、下りてじっとその景色をみつめた。 そのとき彼が、どういう話をしてどういう行動をとっていたのか、まるで覚えていな い。 私は、ある特異な感覚に陥っていたのだ。 これは、私の主観世界の話なので、信用できなければそれでまるでかまわない。 ただ、そのとき私の脳裏に、鬼女紅葉のことが突拍子もなくひらめいていたことは 事実だ。 (鬼女紅葉の執筆を開始しよう) そう決心した因があるとすれば、過去に人がいた村が今は湖の底にあるという悲 劇というべきか、幻想的な感傷が、私の中にあった紅葉伝説とリンクしたのかもし れない。
長野に戻った私は、さっそく『紅葉』(『錦秋の落陽』当初の仮称)の史料集めのた め、県立図書館へ行った。 そこで、さまざまな鬼女紅葉伝説を伝える本の中から、まずはじめに『鬼無里村 村史』を見つけ出した。 そこに“鬼女紅葉の伝説”という項目を発見した。もっとも、伝説というわりに、内 容が細かなところまで描かれているため、後の人が書いたものだとすぐしれたが、 驚いたのは、そこに描かれた紅葉の生誕の地が、奥州会津というのである。 私は瞠目した。 会津で紅葉執筆の決意をしたその直後のことだったので、紅葉を書くことは私に とって、使命といってもいいくらいのものに成長していた。 鬼女紅葉伝説に関しては様々な、見方、考え方、解釈の仕方、専門的な見解が あろう。しかし、それはどこまでいっても伝説という、あいまいな史実的昔話であり、 実話とはいえない。しかし、私は、それをあえて小説にすることで、“鬼”の本性を浮 き彫りにしたいと思った。紅葉が鬼なのか、紅葉を取り巻く人間が鬼なのか?もっ といえば、本当は、鬼は、私達の心の中にいるのではなかろうか――。 一言で書くといっても、そこに費やす労力はなみなみならない。 一度開始した執筆も、筆が止まり、何年も休んだこともある。 しかし、今回こうして、インターネット上で公開することもできた。現在、物語も半 分くらいすすんだと思っている。 願わくは、『錦秋の落陽』が、このホームページをのぞいてくれる方々の、何かし らのお役にたてればとは、作者の勝手な思いである。
|
||