「俺はどっちかっていうと、お前に抱きつかれた事の方がビックリした」 どんな反応をするか見てみたくて、俺は両肩を掴んでいた手を背中へと下ろし、 相手の体を軽く抱きしめた。 途端に相手が体を小さく竦めたのが、腕からの感触で伝わってきた。 おお。固まってる固まってる。 今日何度目の硬直だ? 「……だって、すげー…ビックリしたから……」 腕の中の相手は小さな声でしどろもどろに返してきた。 その様子は、どうしたら良いのか困っているようだった。 すぐ横にある相手の顔をチラリと眇めみる。 暗くて顔色はあまり分からないが、僅かに触れた頬から相手の顔の熱が伝わってきた。 ほんのり熱い頬。赤くなっているのだろうか。 「へ〜…。驚いたら、何やっても良いんだ?」 皮肉めいた声音を作り、俺は吸い寄せられるように相手の首筋に唇を落とした。 相手は短く息を詰め、体を小さく震わせた。 …ヤバイ。そんな初々しい反応されたら、俺まで熱くなってきちゃうんですけど。 ほんのちょっぴりの悪戯程度の気持ちだったのに、 こんな、俺のツボを刺激してくれるような反応されたら引けなくなる。 俺自身、ずっとバイト三昧で疲れ果ててたせいで、結構溜まっているし。 早く止めないとヤバイよ、俺。 ……でも、もうちょっとくらいならいいか。 コイツだって男だし、いざとなれば俺をぶん殴ってでも逃げるだろう。 初対面の名前も知らない男に大人しくヤられるわけないな。 とりあえずぶん殴られるまでは、良い想いさせてもらうことにしよう。 そう結論付けると、俺は相手の首筋に舌先で小さく擽ってから、短くチュッと吸い上げた。 「…っ、うわ!?何すんだよ!!」 相手はビクンと小さく首を竦めながら、声を張り上げた。 互いの体の間で挟まれていた両手を俺の胸に突っ張り、体を俺から離そうとする。 しかし、離れる体を押さえつけるように、俺は相手を抱きしめる腕に更に力を込めた。 もう少し、コイツがどんな反応をするのか見てみたい。 ただの好奇心なのか、コイツをどうにかしてしまいたいという欲望なのか、 それとも両方なのか、自分でも分からなかった。 だが、どうせはすぐ覚める夢のようなものだから、つかの間の快楽に浸っていたい。 夢が覚めるまでは、コイツが全力で俺を拒んでくるまでは。 そう割り切ってしまえば、内側で渦巻いていた迷いはなくなった。 俺は相手に回した左手だけで肩を掴み、もう片方を相手の下半身へと伸ばした。 「…んな!?ちょっ…!どこ触ってるんだよ!!」 相手はギクリと体を強張らせ、目を大きく見開く。 雨で濡れたジーンズは内側から生じる体温で温かくなっていた。 それが肌だけの熱なのか、それとも相手の中心から発せられる熱も含まれるのかは まだ確認できない。 俺は少し強く指を食いこませ、ジーンズの上から相手のモノを握りこんだ。 指先から伝わった感覚は、熱くて、少し固い? 「もしかして、感じてる?」 「……えっ!…な、な…!?」 耳元で吐息混じりに囁いて、相手の顔を覗き込んでみる。 相手は水から上がった魚みたいに口をパクパクと動かしていた。 本殿内に射す光は入り口の隙間から入ってくる僅かな灯りしか無いにも関わらず、 真っ赤になってるのが分かる。 光の下で見れば、相当の赤さだろう。 「首と下少し触っただけで、もうこんなに感じちゃったんだ?」 「…ッ、や…、ちが……っ!」 俺は形を探りつつ、コイツから更に熱と質量を引き出そうと 緩急をつけて指と掌で撫で上げた。 相手は腕だけでなく、足も使って俺から離れようとする。 木の床に足を立てて腰を逃がそうとするが、俺は執拗に相手を追った。 「…く…、ゥ…っ。離…せッ!」 中心を触り始めたことにより、抵抗の力が強くなった。 先ほどまで赤くなったり青くなったりしていた表情には、 戸惑いと怯えの色が浮かんでいる。 ようやく本気で身の危険を感じ始めた、ってところだろう。 でも、俺を止めさせるには、まだ抵抗が足りないな。 「言っとくけど、俺は離してやる気ないから。逃げたかったら、自分でなんとかしろよ?」 掴んでいた肩を相手の後ろ方向へと引き、俺は凭れかかるようにして相手を押し倒す。 体と床がぶつかる鈍い音と軽い衝撃が生じた。 背から肩に回していた腕が相手の体の下敷きになったため、ジンと痺れて感覚が遠のく。 「…ッ痛……」 倒れた反動で頭をぶつけたらしい相手がうめいた。 音からすれば、勢いがつきすぎて床に軽くぶつけたくらいだろう。 俺は相手の肩に腕をつき、上半身だけを起こした。 相手は頭の痛みに眉を寄せていたが、俺が見下ろしているのに気づくと、 恐る恐ると言った感じに俺を見上げてきた。 僅かな光に縁取られた表情。不安げに揺れながらも、まっすぐに向けられる瞳。 俺の心臓が大きく跳ねた。 そして、気づいた時には、相手の唇に自分の唇を重ね合わせていた。 少し冷えていたが、柔らかな感触。 舌と唇を使って、相手の冷えた唇を温かく湿らせていく。 「…ぅ、…ん…〜……!」 重ねた唇の下で、相手の苦しそうな声が聞こえた。 体を押しやる腕の動きと共に、俺から顔を背けようとする。 それでも、俺は相手の動きを追って唇を緩く食み、舌先で丹念に擽った。 「…ふぁ、っ………ァ」 重なっていた唇が僅かにズレたところで、相手が上擦った吐息を大きく吐いた。 熱い吐息が俺の唇に触れる。 もっと、もっとコイツを感じていたい。 そんな想いが重なりを深くする。 俺は更に唇を深く合わせ、濡れた舌先を相手の口腔内へと進めさせた。 相手は突然の侵入に驚いたらしく、閉じかけた歯が舌に当ったが、 気にするようなことではなかった。 温かい空洞を彷徨い、時折上顎の裏や柔壁を掠めさせながら口腔内を探る。 逃げるようにのた打つ舌を捕らえては、強く絡ませる。 「…っ、ぅ……ン…」 抵抗を見せていた相手の動きが徐々に鈍いものになっていく。 俺を押しのけようとしていた手には濡れたTシャツが握りこまれている。 男に可愛いっていう形容もどうかと思うが、それ以外に例えようがなかった。 鈍った意識の中に落ちていく相手は可愛かった。 俺は唇から伝わる柔らかさに浸りつつ、感覚だけを頼りにジーンズのボタンへと指を滑らせた。 「……ッ、離せ…って、このヤローーー!!」 突然顎から頭へと衝撃が駆け抜け、衝撃に引っ張られるように体が傾く。 真っ暗な視界の中で白い光が数回弾けた。 …何が起きたんだ? 目を何度も瞬かせ、飛んだ意識をなんとか安定させてみる。 徐々にぶれていた視界が戻ってくるのと一緒に、顎から頬にかけての鈍痛が寄せてきた。 少し離れた場所には、床にへたり込んでこちらを睨みつける相手。 胸のあたりにまで上がっている拳が震えている。 …ああ、そうか。 俺、コイツに殴られたのか。 まさか体の力が抜けたところで殴ってくるとは思わなかったから、油断していた。 つくづく思いがけない行動をしてくれるヤツだ。 口の中が切れたらしく、じんわりと鉄のような味が広がっていた。 「からかうのも…いい加減にしろよ!…こんなの…シャレにならねー…」 少し涙に滲んだ声で区切り区切り、懸命に言葉を紡ぎだしている。 「お前にとっては…キスくらいなんてことないのかもしれねーけど、オレにとっては…。 …舌なんて……したことねーのに…」 泣くのを堪えているのか、ただ単に寒いだけなのか、相手は小さく一つ鼻をすすった。 したことない、ねぇ…。 コイツが今言ったことからすれば、触った方より舌を入れた方が重大なことのようだ。 つまり、舌を入れたから殴ってきたわけか。 「べつに…からかうために……したわけじゃねーよ」 俺は視線を横に逸らし、口の中で小さく呟いた。 最初はコイツの反応が楽しくて、どんな反応をするのか見てみたくて触ったけど、 キスは違った。 悪戯めいた気持ちはまったく存在しなかった。 「だったら…何で……ッ!説明しろよ!」 俺が小さく呟いた言葉を拾ったらしく、相手が声を張り上げた。 思わず、チッと舌打ちが洩れる。 理由なんて、どーでも良いじゃねぇか。したいと思ったから、しただけのことだし。 会ったばかりのヤツにどうしてこんなことしてるのか、 自分でも正直よく分からねえのに、説明できるわけがねぇだろ。 俺は短くため息をつき、相手に向き直った。 「……したいと思ったからした」 偽りも無く、飾りも無く、思った事をそのまま口に出す。 どうして、したいと思ったのか。どうしてコイツを見ているとこんなにも構いたくなるのか。 どうして悪戯が何時の間にか違うものになっていたのか。 理由を追っていけばキリがない。 だから、俺が今言えるのは、「したいと思ったから」それだけしかなかった。 相手はしばらく唖然とこちらを見ていたが、沈黙の後、苦笑じみた息を一つ吐いた。 「したいからした……って…。…お前、そんなことばっかしてると、暴行罪で警察に捕まるぞ…」 息を吐いてから、相手は強張っていた表情を僅かに緩めた。 一緒に回りの雰囲気まで和んだような気がした。 俺は相手の口から出た言葉に瞠目した。 何でコイツが俺の心配をするんだ?ヤられそうになったばかりだというのに。 「…ばっか、ってなんだよ。知らねーヤツにこんなことしたのはお前が初めてだよ!」 ぶっきらぼうに吐き、顔を横に背けて生じた動揺を隠す。 つくづく分かんねーヤツだ。 被害者なんだから、もっと被害者ぶっても良いだろうが。 眉間に指を当て目を閉じてみたが、相手の思考など読み取れるはずも無い。 なんとも言えない苛立ちが内側で渦巻き、俺は低く唸って頭を掻いた。 「水島辛」 何の脈絡も無く聞こえてきた名前らしき言葉に、 俺は頭に手をやった姿勢のまま、動きを止めた。 「オレの名前だよ。…雨宿りしてたら、知らないヤツに襲われましたなんて…、 ムカツクから、お前の名前も教えろ」 目から先に振り返れば、相手は唇を尖らせ、拗ねたように言った。 …名前を教えれば、知らないヤツに襲われたことにはならない…って? 「良く分からねぇぞ?その理屈」 「…ッるさい!このまま警察に突き出してほしいのか!」 言い終わるか終わらないかのタイミングで、相手が少し裏返った声で叫んだ。 何時の間にか、相手は最初に会った時の調子に戻っている。 「名前言っちまったら、もう逃げられなさそーじゃん。そんなんで、教えられるかよ」 頬が自然に緩んでいくのが分かった。 俺もついつい調子に乗って、売り言葉に買い言葉のように、口を滑らせてしまう。 「……そうか、分かった。お前の顔、よーく覚えたからな! 逃げても、警察の人にぜってー捕まえてもらうからな!」 相手は勢い良くその場に立ち上がると、人差し指でビシッとこちらを指した。 あまりにも勢い良く言い切った相手を見て、込み上げてくる笑いを抑える事ができなかった。 俯いてできるだけ声を洩らさないように努めたが、 後から後から込み上げてくる笑いの感情には敵わなかった。 「あ!何笑ってるんだよ!言っとくけど、本気だからな!」 「……真」 また喚きそうになった相手の声に被せて、自分の名前を告げた。 俺が何かを言ったのに気づいたか、相手はピタッと口を閉ざしたが、 様子からすると聞き取れなかったようだ。 「ずりぃ!もう1回」 「ちゃんと名前教えただろ。聞いてなかった方が悪ぃ」 引いていかない笑みを湛えたまま、俺もその場に立ち上がる。 隙間から外の様子を見れば、先ほどのどしゃ降りも幾分か弱くなっていた。 雨が降る度に心を弾ませていたのは 雨が降ると良いことがあるような気がしていたのは 一体どれくらい昔のことだろう。 突然のどしゃ降りで避難した神社で、俺は何年か振りに、 良いことに出会った気がした。 END
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