日本書紀 (雄略天皇478年頃)
秋七月 丹波の国 瑞江の浦島子 大亀を得たり 化して 女をなす
蓬莱(ほうらい)山に至り ひじり(仙衆)を 歴とす。
丹後風土記 (雄略天皇478年頃)
その地は、玉をしけるが如し、目に見ざるところ 耳に聞かざりしところなし
乙女「君、しまし、ここに立ちませ」と言いて 門を開けて内に入き…。七(しち)たりのわらわは来て相語りて、
「是は亀姫の夫なり」といひき。また八たりのわらわは来て相語りて、
「是は亀姫の夫なり」といひき
乙女の名は亀姫なることを知りき..。乙女の云ひけらく
その七たりのわらわは すばる星なり(プレアデス 昴(ぼう)星)
その八たりのわらわは あめふり星なり(ヒアデス星 畢(ひつ)星)
300年後 778年に帰ってきたと 帝王編年紀(神代より後伏見天皇までの歴史書)にある。
斉明元年 655年 生駒山に龍に乗った人
夏五月 庚午のついたち 空に 龍に乗れる人あり。
かおかたち唐人に似たり、青き油絹の笠をつけ
葛城(かつらぎ)の嶺よりはてて
生駒の山に隠れ、午の刻にいたりて 住吉の松の嶺より 西へ向かい 去にき。
天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう) 奈良県 中宮寺
飛鳥時代(7世紀)の染織工芸品。
推古天皇30年(622)
聖徳太子の死去を悼んで 妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が
宮中の采女に命じて、
太子が往生なされている天寿国のありさまを刺繍せしめられたものです。
「天寿国」とは、阿弥陀如来の住する西方極楽浄土を指すものと考証されている。
日本の歴史書 に書かれている
宇宙人なんて存在や呼び名も知らない人たちの 宇宙人との出会いでの文章です。
空想ではとても書けない文章です。
これは 浦島太郎の
元の話ではないかと思われます
公式な解説に宇宙人はいませんが、
よく見ると、左上には月、亀、鳳凰が、
右下にも亀が描かれています。
空を飛ぶ亀。これはまさにUFO
だったのかも知れません。
聖徳太子は、亀(たぶんUFO)に連れられて
月に向かって 昇天して行った。
その光景があまりにも衝撃的だったので
その風景を刺繍にして後世に伝えた。
と解説された方がおりました。
私も同感です。