2005.5.30 「スーホの白い馬」配役決めにあたり
舞台練習を見て、誰でも代役が可能に・・
・普段はあまり気にしていないのですが、脚本を決めるときと、配役を決めるときは、それなりに気を遣います。僕は普段はおかあさんたちとお付き合いがないので、間合いというか、感触がいまひとつ分からないからです。
・さて、配役ですが、主人公については、なるべく多くの人にやってほしいという思いがあります。一度舞台を経験すると、きっとやめられなくなると思うからです。それから、登場人物になりきることは、別の人生や感情を生きることにつながる面白い体験です。普通の演劇は恥ずかしさがあるものですが、人形劇の場合は、いったんは人形を経由するので、演劇と比べてワンクッションあります。そこが面白いところです。発生の歴史を見ると、人形浄瑠璃は歌舞伎よりも古いのです。もともと人形浄瑠璃は神にささげるものでした。人形の方が人間の肉体よりも、神に近い存在と考えられていたからです。人は人形を通じて、純粋な気持ちになることができるのです。
・なるべく多くのメンバーのみなさんにといっても、いろいろ限界もあります。七月の公演は初めてになるので、その日に都合が悪かったりする場合は、難しくなります。それから、練習時間もある程度確保する必要もあります。そんなことを勘案して、配役を決めさせていただきました。舞台に立つメンバーの皆さんも、裏方に回る皆さんも、本番に向けて力を合わせ、盛り上げて下さい。よろしくお願いします。
・去年に続いて、今年もなるべく上演回数を増やしたいと思います。その際は、去年同様に、配役をチェンジすることも考えられます。そのためにも、時間の許す限りで結構ですが、メンバーのみなさんは、なるべく練習に加わって下さい。とくに、本番に向けて舞台練習に入るときには、一緒に見て下さい。そうすると、いつでもだれでも代役が可能になります。
・去年Y.Sさんが人形劇について、「一人の自分になれる」という意味のことを言って下さいました。一座がそういう時間を持つ場になったり、きっかけになってくれれば、これほどうれしいことはありません。家庭や仕事はもちろん大事です。それを大切にしながら、どこかで夢みたいなことや、素晴らしい物語を心に抱いていたい、と思います。行き詰まったり、迷ったりしたとき、あるいは、素晴らしいものを見たり、出会ったりしとき、自分の「内面の声」に耳を傾け、遠い空の一角を流れる気流に身をゆだねているような、そんな気持ちです。
・大人がそういう気持ちになれば、子どもも、そういう気持ちになります。美しい物語、素晴らしい物語が、子どもが大人になって、いつか人生の岐路に立たされたときに、内面の声となって、正しい道を示してくれます。それが物語の価値なのです。例えば、別離の体験をしたときに、どういう行動をとるか。おとうさんやおかあさん、先輩や友達のアドバイスは大切ですが、もっと大切なのは本人の「内面の声」です。そのとき、例えば、スーホのようにだれを恨むでもなく、大切な相手を昇華していくことができたら、どんなに素晴らしいことでしょう。一座が子どもにとっても大人にとっても、そんな場になるように願っています。きっとそうなると思います。そうなるように力を合わせましょう。 |
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人形劇 マスヤン一座 −人形劇を通じて、目に見えない「物語りの力」を、 子どもたちと一緒に追求しています。− |
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2005.9.6 夏祭り公演打ち上げ企画・・・志賀高原一日ゆっくり紀行〜
山ノ内町ロマン美術館“親と子の馬頭琴の夕べ”に出演決定!
・リガ・スチントさんが志賀高原で一座のみなさんを前にモリンホール(これからは馬頭琴と呼ばずに、モンゴル語でモリンホールと言います)を弾いて下さったこと、とてもうれしく思っています。僕はスチントさんに一言もお願いしなかったのですが。なんと心優しく、モンゴルの草原のようにさわやかな人だろう!と、感激しました。スチントさんの生演奏をどうしても一座のみなさんに聞いてほしかったので、それだけでも志賀高原の会を開いて良かったと思いました。
・山ノ内町でのスチントさんとの共演は11月20日(日)になり、ほっとしています。十月だと準備期間が少ないので、心配でした。みつばち保育園にしても須坂のお祭りにしても、言わば「身内」のようなところがありますが、山ノ内町の公演は純粋に「他流試合」です。身内であれ、「他流試合」であり、いつも真剣勝負がマスヤン一座のモットーですが、「他流試合」は格別の味わいがあります。そして、「他流試合」が人間を成長させてくれるものなのです。これから先、一座の子どもたちも「他流試合」をこなすことで、一段と成長するはずです。僕もいくつになっても何事にも「他流試合」を挑む、そういう気合で過ごしたいと思います。 |
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2005.8.3 座長「スーホの白い馬」王様役・・・・久しぶりに役を演じることができて
「久しぶりに役を演じることができて感激でした。しかも、悪役は好きです!。去年、T.G君にコガネの国の兵士をやってもらい、Sちゃん(T.G君の娘さん)に悲しい思いをさせてしまって、大変申し訳なく思っていました。悪役のいいところは、なんだかすっきりすることですね。オオカミの練習でT.G君が憑依(ひょうい)したのも分かります。心のどこかで悪になりたいのかも…。これからは僕が悪役一手に引き受けますが、悪役をご希望の方、ぜひやってみて下さい。悪の魅力にはまること請け合いです」
「一座のポリシーは、子どもたちに夢や勇気を伝えることにあります。しかも、楽しく!。楽しくなければだめです。これは大変なことなんです。子どもに手を抜いてはいけません。エンターテナーに徹して、なりきって、全力でぶつかって、ようやく子どもたちの心に届きます。子どもだまし、なんて言葉は最低です。子どもには最高のものを見せ、聞かせ、体験させたいものです。それはお金をかけることではもちろんありません。全力、誠意、質の高さ、が大事です。実は大人も登場人物になりきることで、役の中で別の人生を生きることができ、日常から一時、解放されるのです。別の人生を生きてみたいという願望はだれにもあるでしょう。演じることの意味は、実はそこにあるのです。少女にも、少年にも、オオカミにも、王にも、神にも、木にも、なんにでもなれます。一時的にでも別の人生を生きることで、大人は夢を持つことができます。夢見るころを過ぎても、夢を見ること。それがまた子どもにも夢を与えることにつながります。マスヤン一座がそんな場になればいいなと、いつも思っています」 |
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2005.7.13 「スーホの白い馬」保育園夏祭り公演を終えて
・それにしても、マスヤン一座は凄い!。またまたやってくれました。土壇場で最高の演技でした!。見ていた子どもたちが「面白かった!」と言ってくれたし、引き込まれていました。あの表情を見て、僕は「やった!」と思いました。素晴らしい、ブラボー!です。これというのも、出演者や裏方で支えてくれた皆さん、ご家族の皆さんのおかげです。深く、深く、感謝申し上げます。僕は職場で「土壇場のマス」との異名があります。良く言えば、「土壇場力」があるということです。悪く言えば、「段取り力」に欠けます。その分、みなさんにはいつもご迷惑をかけています。しかし、一座もまた、「土壇場力」があることが分かり、にっこりしています。これからも頑張りましょう。
・何事も三年目は難しいと言われています。その公演を乗り切れたことは本当に喜びです。最初にT.G君と一緒に始めたことが、ようやくここまで来た感じです。当初のメンバーに加えて毎年新しい方が加わって、雪だるまみたいにパワーアップしています。お父さんたちが入ってくれたのも、心強い限りです。みなさんさえその気なら、もっと遠くまで行ってみたい思いです。
・実は翌日、スチントさんと一晩酒を飲む機会がありました。何とスチントさんが馬頭琴(モリンホール)を弾いて下さったのです!。その音色は、モンゴルの草原のように雄大で、ときに悲しさを帯びていました。素晴らしい音色でした。CDとはまったく違う感じです。興に乗って、あの台本を僕が朗読し、スチントさんが伴奏をつけてくれました。前日に引き続き、感動が伝わってきました。まさかこの日、スチントさんが馬頭琴を演奏してくれるとは夢にも思いませんでした。こんなことなら、みなさんをお誘いすれば良かった、と後悔すると同時に、一座のみなさんにスチントさんの演奏を聴く機会を設けたい、と思いました。これが、次の僕の夢です。待ってて下さい、なんとしても実現させますから。
・マスヤン一座のみなさんを、僕は誇りに思います。いつも一緒に練習にきてくれる子どもたちも大好きです。みなさんも、一座の活動を誇りに思って下さい。「とっても大切なもの」「なんだか分からないもの」「サムシング」を、求め続けること。日々の暮らしの中でも、美しいものを求め、夢みること、を忘れないでいたいと思います。
それでは、みなさんとまたお会いできる日を楽しみにしています!。 |
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2005.6.6 「スーホの白い馬」保育園夏祭り公演を前に・・一座も程よさが肝心
・マスヤン一座もいよいよ本番を迎えました。メンバーのみなさんには、プレッシャーとか、ストレスとか、が出てくるかと思います。この世にはストレスのない社会はありません。人生においてストレスは、香辛料のようなもの。強すぎると味は台無し、弱すぎるとインパクトのない料理。ほどよさが肝心です。マスヤン一座の人形劇が、みなさんにとって強すぎるストレスになったら、料理をつくるのはやめましょう。これくらいならいいか、あるいは、終わった後に、いい味だった!、といえるようにさじ加減したいものです。そのためには、メンバーのみなさんは思ったことは遠慮せずにどんどん言って下さい。「注文の多い料理店」にしましょう。いろいろな思いや注文を出し合って、さじ加減を決めましょう。
・上演は子ども相手だからといって、手を抜いてはいけません。ですが、あまり根を詰めすぎたり、無理をしたりすると、やっている本人たちが苦しくなります。そうすると、苦しさが子どもに伝わってしまいます。原点はあくまで、やっている本人たちが楽しさを求め、実際に楽しい、ということです。そして、子どもたちに思いを伝える、ということです。香辛料の使い方を考えながら、七月の上演を目指しましょう。辛い、とか、甘い、とか、いろいろと声を出して下さい。
・一度でも参加して下さった方なら、みなさんが一座のメンバーです。仕事や家庭の事情などいろいろあるので、楽しめる範囲でけっこうですので、しばらく来られなくても、暇があったら、いつでも気軽に顔出して下さい。いつでも大歓迎です。マスヤン一座は大変素晴らしいことに、「いいかげんなところ」です。「いいかげん」は悪い意味ではありませんので、誤解しないで下さい。沖縄では、「ていげい」という言い方があります。北信地方でもお年寄りは「ていげ、にしとけよ」などと使いますね。「いいかげんにしておけ」という意味です。「いいかげんにしろ」とは悪い意味にも使いますが、沖縄や北信地方の使い方には、「無理をせず、それくらいにしておいたらどうか」という意味があります。沖縄では「ていげい」は明らかに良い言葉なのです。英語でいうと、「Take it easy!」(気楽にね)とか、ビートルズナンバーでは、「Let it be」(なるようになれ)、といった感じに似ています。
・だいたい、最近は世の中に「いいかげんさ」がなくなってきました。例えば、小学校の持ち物の多さといったらありません。一つでも忘れると、さあ大変、などと思ってしまいがちです。そんなものが一つや二つなくても、借りればいいし、なくてもいい、と思いたいです(そういうこと言ってるから、大人になってマスヤンのような人間になってしまう、といわれれば、シュン…ですが)。子ども同士、ちょっとしたけんかで少しはけがをすることもあります。それもたいしたことありません。「いいかげんさ」がなくなってしまったから、あのような列車事故が起きてしまうのです。マスヤン一座は「ていげい」主義で行きましょう。ですが、マスヤンの「いいかげん」さは極地に達していますので、だれか気付いた人は、ときおり、手綱を締めて下さい。タカラパパ(T.G君)は、適役かも。そういう人もいないと困りますから。
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2005.6.28 夏祭り公演まで2週間!完成度60パーセント〜ゴール100%!
・今回の「スーホの白い馬」ですが、僕が見るところ、演劇の方の仕上がりが遅れています。それは、いままでの二つの作品が冒険ものだったので、起承転結がはっきりしていたのですが、今回は内面的な問題なので、なかなか表現が難しいことに大きな原因があります。今度の日曜日 は勝負どころです。
次の点に気を付けて練習したいと思います。
@大きな流れをつかむ。
・「スーホ」は、主人公が復讐を遂げる冒険譚(たん)でありません。主人公の少年と愛馬の永遠の友情、心の絆の物語です。死を受け入れ、受け止め、なお、死者と生者がいつまでもつながっている物語です。ヒーローはいません。モンゴルの草原に生きてきた民衆の英知、賢さ、心の物語なのです。スーホは自分の境遇や王様をけっしてうらんだりしません。怒りや悲しみを感じても、それをいつか受け止めて、おばあさんや仲間たち、そして、ツァガンと、ひたむきに、つましく生きてきたことを、大切にします。いまどき流行らない地道な生き方です。だれかをおとしめたり、うらんだりすることなく、誇り高く、愛と友情を大切にし、まっすぐに生きる―。それがスーホの生き方です。そのことを、ツァガンは、優しく、天上から導いてくれるのです。「そんなに悲しまないで下さい」という天から声。なんと優しく、おおらかで、愛情に満ちた声でしょう。「あの王様が憎い」なんて、一言も言わないのです。なぜでしょう?。ツァガンはスーホに愛されていたことを、十分に知っているからです。愛されたものは、人を恨だんだりしない、愛されたものは、愛することができるのです。これは愛の持つ強さです。そしてもう一つ大切なメッセージがあります。「私の骨や皮をつかって楽器をつくって下さい。そうすれば、いつもそばにいることができる」―。なんと美しいメッセージでしょう。永遠の別れに対する普遍的なメッセージをはらんでいます。そうです、思い出すこと!。それが、永遠の別れを永遠の出会いに変えることです。何回忌というのは、そのためのセレモニーです。人は思い出すことができる。そこが動物と違うところです。この物語は、そうした人生の深い英知を伝えいます。演じる側は、それを全身で感じ、自分のものにして下さい。
Aメリハリをつける。
・メリハリをつけましょう。一つは、オオカミとの場面。これによってスーホとツァガンの絆がいっそう深まります。大事なエピソードです。 二つ目は、競馬の場面。ここはツァガンの凄さを見せつける場面です。 三つ目は、ツァガンとスーホが引き裂かれる場面。そして弓で打たれ、必死でスーホのもとに帰る場面。 四つ目は、最大のクライマックス。ツァガンが夢枕に現れる場面。 最後、楽しい「再会」の場面。一つ一つ、感情を入れると同時に、分かりやすく演じたいです。
今度の日曜日、頑張りましょう!。 |
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2005.11.6 須坂市立図書館“おはなしびっくり箱”「スーホの白い馬」公演終え
・お疲れさまでした。
・それにしても、マスヤン一座はやはり素晴らしい!。普段は学級崩壊状態なのに、決めるときには決めてしまうのは、さすが!、とまた今回も思ってしまいました。
・子どもたちが、静かに見てくれたのは、なによりでした。終了後、ご年輩の方から「涙が出そうになった」との評価をいただきました。また、童話作家のY.Hさんご夫妻(須坂市在住)がご覧になり、「もっとたくさんの人に見せたい」と言われた、とのことでした。出演者のみなさん、また音響、照明など舞台を支えてくれたスタッフのみなさんの底力の賜です!。
・いろいろな方々の演しものと比べてみるのも、楽しいですね。それぞれに個性がありますが、マスヤン一座の特徴は「勢いがあること」「生命力があること」だと思いました。一座のメンバーは子育て真っ最中です。ここに、勢いや生命力の秘密があります。子育て、家事、親類などとのおつきあい、そして、仕事…と、マスヤン一座のみなさんは人生のなかでも、一番忙しく、体力もつかう時期にあります。それは裏返せば、人生のなかで、一番必要とされている時期でもあります。そこに生命力や勢いの源があるのです。思えば、一座のみなさんはほんとうによくやるなあ!と、感心します。その力が、舞台に凝縮されていました。子育て真っ最中一座(マスヤン以外ですが)、この勢いで、志賀高原(ロマン美術館)公演も頑張りましょう!。 |
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2005.11.21 山ノ内町ロマン美術館“親と子の馬頭琴の夕べ”
「スーホの白い馬」上演終えて
・昨日のロマン美術館の上演は、大成功でした!。マスヤン一座のみなさんの底力を、あらためて見たように思います。音響をマスさん(M.S君)に急きょやってもらったので、練習のときは音が合わないときがあり、一時はどうなることか、と思いましたが、なんのその。みごと、きまりましたね。昨日しみじみと思ったのですが、僕らは音楽で演じていることを、実感しました。音響は指揮者のような役割を果たしているのですね。M.Tさんは参加できなかったのですが、僕はM.Tさんがこれまで音作りをして下さったことに、あらためて感謝しました。また練習を総合的に見てアドバイスして下さったT.G君にも、感謝しています。昨日の上演は、一座のみなさんの半年以上に及ぶ、積み重ねの結晶だと、思います。そして、こうした機会を与えてくれたロマン美術館のT.Sさんと、ご主人で親友のM.S君にも、深く感謝します。また、昨夜は気が回らなかったのですが、志賀高原の女将さんたちの会が、お菓子などを用意し、上演を陰で支えて下さいました。とてもうれしく思いました。
・リガ・スチントさんも、大変喜んで下さいました。「劇が終わった後は、一座のみんなが舞台の前か、後ろであいさつをした方がいい」とアドバイスしてくれました。その通りですね。参考になりました。子どもたちがしーんとして見てくれたのが、なによりの喜びでした。「泣かせるね」と言ってくれた大人の方々もいました。たまには雰囲気のある舞台でやるのもいいですね。
・いまの世の中、夢を持ちにくい感じになってきました。ニュースを見ても、日本はいったいどうなるのだろう、日本人はどうしてこんなに品性がなくなったのだろう、と思うことが多くなりました。そんなとき、一座のみなさんと一緒に「純粋なもの」「美しいもの」を、追い求めることができることを、とても幸せに思います。北信濃の良く晴れた冬の空のように、心の中にりんとした透明さを持ち続けられたら、と思っています。「スーホの白い馬」はやはり傑作です。あのような怒り、悲しみにも、けっして人をうらむのではなく、愛馬の体を使った楽器をつくり、いつも手放さずに演奏している―。そんなスーホの気高さに、胸が熱くなります。子どもたちに、スーホの思いを少しでも伝えられたら、そして、それを演じることで、自分自身も少しでもスーホのような気持ちになりたいな、と思います。一人で本を読む以上に、みなさんと一緒に作品をつくりあげることで、高い次元の感動を得ることができる、としみじみ思いました。一座のみなさんも、きっとそんなふうに思って下さることでしょう。今シーズンはおそらく、これが最後でしょうけど、みなさんがその気なら、また来年も、いい夢を見ましょう!。それから、子どもたちが、知らず知らずお手伝いをしてくれるようになりまたしたね!。昨日、遅刻したときに、I.TさんちのN.T君に「マスヤンがそれじゃ困るよ」と叱られ、反省すると同時に、とてもうれしく思いました。いつも、エネルギーをくれる一座の子どもたちにも、感謝しています。では、また忘年会でもやりましょう!
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・リュウの笛(2004・2007年) ・スーホの白い馬(2005・2008・2010・2013年) ・臥竜山物語(2006年)
・石になった狩人(2009年) ・北の国のラーカスと南の国のラック(2010・2012・2013年) ・火の神 水の神(2011年)
人形紹介・(2003〜2008年) ・人形紹介(2009〜2013年) 舞台裏紹介・舞台裏@〜B(2003〜2008.1月)
・舞台裏C〜E(2008〜2009年) ・舞台裏F〜I (2009.11月〜2010年) ・舞台裏J〜M (2011年〜2012年)
・活動の記録 2009年(4月〜12月) ・活動の記録 2010年 ・活動の記録 2011年 ・活動の記録2012年
・活動の記録2013年 ・活動の記録2014年 今後の予定・2008〜2009年 ・今後の予定 2010年 ・今後の予定 2011年
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